正しい本の読み方
はじめに
本を読んでいても、なかなか記憶できないとか本に書いてあることを役立てられていないような気がしている。
そんなことを感じる中で、タイトル通りの本を読み、納得したところがあるので書く。
そもそも本とは何か?
本は人に伝えるために存在するというところを理解しておく。
著者が何か思うところなどの背景があり、伝えたいことに本に書いている。
これは、伝えたいことを選んで書いているということでもあるので、書いていないことも気にしないといけない。
学術書では、体系的な知識を伝えようとしている。新書等では著者が伝えたいことを伝えようとしている。
伝えるためにあるということを理解することが本が何であるかを理解するためには認知しておかないといけない。
これを踏まえ、本とは何かというと、書き手が伝えたいことを選んで記載した媒体である。
読み手がやらないといけないこと
書き手は伝えようとしている、つまり、コミュニケーションしている。だから受け取った読み手は何かしらの反応を返すのが礼儀ではないかと考える。それは、書評だ。
相手が伝えたいことを理解する。理解したら自分の意見を伝える。
なんでこの人はこんなこと書いているのだろう、なんでこんなことを伝えようとしているのだろうか、なんで書いていないのだろうかなどを頭の中で思いながら著者とコミュニケーションする。
間違っても、伝えてないっていることは正しいと鵜呑みにしてはいけない。
それは、著者の伝えていることを理解してないことであり、つまり、関心や興味が向いていない。それは、著者が本当に伝えたいことを理解できないのではないか?と思う。
本を読む時には、考えることを放棄せず、考えながら著者と対話する姿勢が大事だ。
これが、本来あるべき本の読み方だと理解した時、すっと、納得した。あぁ、今まで読んでいるじゃなかった。見ていたんだ、もっと言えば人を使っていた。そんなイメージだろうか。
特定の人ととしか関われない病
はじめに
なんでも、病とすればいいのかと思うところもありますが、病と称することで治せる気がしますし、客観化できるので、僕は、病と称することが多いです。
今回、特定の人としか関われないというところがるなーと思ったので、それについて書いてみます。
特定の人としか関われない背景
人間関係を築くには、お互いに理解し合うところから始めないといけないです。何が好きなのか、何ができるのか、何をやりたいのかなどを伝え合い理解しあい、どんな人かを知る。
これをするには、お互いの背景だったり、知識の前提だったりと、表に出ない部分までも理解していくことをしないと、なかなかうまくいかないかなと。加えて、感情の疎通、意思の疎通をして、理解していく。頭の中で考えていたり、心の中で思うだけではダメで、表現し伝えなければならない。そのときに、上記のように、表に出てない部分まで感じとる必要があります。
慣れてくると、表に出てない部分を知り合っているので、暗黙の前提としてできるので、少ない言葉や多少齟齬が生まれる表現しても許され合うし、伝えられます。特定の人としか関わらないのは、かなり楽なんです。この楽さを覚えてしまうと、それに浸かってしまう。抜けれなくなり、知らない人と一から築くのが面倒くさくなります。この面倒くさいを、人見知りと表現して、関わらないことを肯定します。
こういう循環が始まると、特定の人としか関われない病を患います。
特定の人としか関われない病と名付けて考えた結果気づいたこと
特定の人としか関われないということを考え始めると、気づいたのが、自ら関わる機会を作らなくなったし、今現在関わってる人にも失礼なことをたくさんしているのではないかなと振り返りました。親しき仲にも礼儀ありと言いますが、親しくなり特定の人としか関わらないようにすると、礼儀礼節に関する感度が低くなりやすいなと思いました。
だから、今関わってる人たちに対しても礼儀礼節を重んじた関わり方をしないといけないなと思いました。あと単純にいろんな人と議論した方が自分を伸ばせるなと感じたので、積極的にコンフォートゾーンから出て行きたいな。
システム設計
はじめに
IT業界の用語は、文脈依存な上に用語が多すぎて困惑しますね。
基本設計、外部設計、詳細設計、内部設計、機能設計、画面設計。。。
色々と本読んだりして考察しました。
設計の曖昧性とかになること
基本設計と外部設計を同義に扱ってる会社もありますね。システムの入出力について定義することが外部設計ですが、これが基本設計と同義となるのは不思議だなと思いました。じゃぁ、基本設計と呼ばずに外部設計でいいよねって思います。基本設計と外部設計が同義になってるところのプロジェクト状況が気になります。。。
一方で、基本設計では、入出力を定義するし、処理も定義するという会社もあります。
基本設計と外部設計が同義の場合、詳細設計と内部設計が同義になります。
基本設計を外部設計としているところは、内部設計は処理設計のことを指すようで、これをプログラマーに依頼するそうです。これもこれで違和感があるなと。処理って技術依存する部分じゃないしなと。Javaがわからくても処理設計はできるしな。
画面単位が部品なのか、MVC単位が部品なのかという捉え方の違いですかね。
システムの最小部品って、MVCであって、画面ではないと思うのですが。。
さらに、どこまで詳しく書くかという粒度も会社によって異なります。
会社によって違うというのが曖昧さを生み出してますね。
システム開発プロセスについて語る 設計のみ
設計の工程は、基本設計と詳細設計、または、外部設計と内部設計となります。
システムの構成要素は、アプリケーションについては、画面、帳票、DB、機能です。これらの基本的な部分を設計するのが、基本設計。
基本設計の内容を技術的にはこうやって作るというのをデザインパターンに従って定義するのが詳細設計。これで、システムの挙動がコンポーネント単位まで定義されたことになります。
システムの部品は画面じゃないよ。MVCだよ。
外部設計では、入出力を定義するとした場合、内部設計、プログラム設計と続かないといけないんじゃないかなと思います。
最後に
疑問として残ってるのが、炎上しないでしっかり回ってるプロジェクトって、どういった設計の進め方をしているのか?ですね。
会社を辞めることにした話
はじめに
実態は入ってみないとわからないという、入社候補者と会社における情報の非対称性を強く感じた会社でした。入社前から今に至るまでこの会社は大丈夫なのかという不安がたまり不信感に変わり、信用できないと認識し始めました。それが、暗澹たる気持ちになり、先行きにとても大きな不安を抱えそんな状態で働けないと思うようになりました。
現在の会社に入るまで
ITエンジニアとして働いてきて、何を作るかを定義することが重要だと思い始めていました。
ただ、どういった事業を営んでいる会社でIT活用を企画する立場になればいいのかわからないところもあり、大きく言えばアウトソーシング分野で働き、これだというところが見つかったら転職しようと思い、コンサルティング業界を選択しました。
コンサル業界特化の転職エージェントを利用していて、そこからコンサルティングファームと紹介され、今の会社に入社しました。
会社の実態
最初におやと思ったことが、面談組みますと言われ、ここに行ってくださいと言われたときです。プライムという話だったよな、派遣?おや?と思いました。
エージェントから聞いていた話が、コンサルティングファーム、プライム、案件を選べるなど聞いていました。今思えば、エージェントもKPIが設定されているから、聞こえのいい言葉を並べてコンサルティングファームに見せて入社させるように仕向けていたのかな?などと邪推してしまいます。
さて、話がずれましたので、元に戻します。
そのおや?と思ったところから幾度となく会社の闇を垣間見ることが増えていきました。
聞いていた話と違うということが、こうもはっきりと感じるのは初めてでした。
実態は、SES、高単価のポジションに割り当てる、決まればいいけど決まらないと営業に回される、決まったとしてもミスマッチの可能性があるなどです。
プロジェクト離任が決まり、次の案件の面談をいくつもこなしてなかなか決まらない人もいて、営業になった人もいました。
私も月末まで次月からプロジェクトの決まらず、不安を抱えていたことを覚えています。入ったら入ったで評価されないと離任になるという可能性もあり、常に緊張感を持って働いていました。
ただ、平気で1人で案件に入れられることもあり、プロ意識が飛躍的に育ち、仕事を楽しくやれることを実感したので、そういう意味では良かったなと思っています。
辞めるに至るまで
ここからは単なる思いの丈をぶつけるだけですが。
やりたい案件を選べないじゃん、なんでだよ。年俸制から月給制に変わった、そして残業抑制開始、毎月これくらい残業時間を削減できましたというメール通知。コストカットですか。
単価のうち粗利をこれくらいにしています。はぁ。
わたしよりもできない人と同じ給与になるのはおかしいと文句。そしたら、バリューを出したら給与アップしましょう。バリューを出すとは、価値を提供ではなく、高い単価を出せたらという意味。
社長が変わったけど一年でいなくなり、その社長は大手に転職。
変わる会社の理念やビジョン。時価総額いくらを目指すなどコロコロ変わる。会社は公器であるという自覚がないのか。
出入りが激しい。入っては辞めるの繰り返しで、人をたくさん採ってそうなのに劇的に増えたいかない。
などなど、会社としてぐちゃぐちゃしてきたし、なんだか何をミッションとして働いていけばいいのかよくわからなくなってきて、給与も上がりづらいし、働いても幸せになれない、ここでは無理だと思うようになりました。
そして、退職を決意。
終わりに
会社選びは慎重にいきましょう。
クリティカルシンキング
はじめに
クリティカル進化論を読んだので、クリティカルシンキングについて、自分向けに整理する。
クリティカルシンキングの重要性
日本語に訳すと、批判的思考。要は、鵜呑みにせず疑ってかかり、これは正しいと納得したら受け入れる思考だ。
鵜呑みにするのはよろしくないという。これは確かにそうで、自分で考えないから、正しいと納得していない。だから、なぜと問われてもちゃんと答えられない、説明できない。つまり、アカンタビリティー、責任を負ってないことになる。
主体性とアカンタビリティーは強い関係にあると思う。納得できていることは主体的にできる。何をすればいいのかを把握しているからだ。
納得するためには、正しいと鵜呑みするのではなく、物事を疑ってかかり理解して正しいと認めるというプロセスが必要だ。
そして、このプロセスがクリティカルシンキングと言える。
また、認められないなら受け入れないという強さも必要だ。
クリティカルシンキングってどういう思考プロセスなのか
意見を持つプロセスは、事実を認識→事実を理解→解釈・評価→意見というプロセスがある。
クリティカルシンキングは、いろいろと疑ってかかることなので、このプロセスの一つ一つを疑い、自分で確かにそうだと認める思考過程を経ている。
批判的思考のやり方
単純な思考方法で、反論するスタンスで考えればよい。本を読むときも、中に書いてあることは正しいと思って読むのではなく、内容に対して反論する気持ちで読む。
やり方としては、前提を反論する。逆、裏、待遇をとり、真偽を確かめる。他にも可能性があるのでは?などと考える。
また、反証例や当てはまらない例を出してみるのがやりすい反論の仕方だ。
おわりに
クリティカルシンキングは、日々、自分で考え判断するための思考習慣でもある。
普段、この人が言ってるから正しいとかの思考前提を持っているなら、なかなか批判的思考に切り替えるのは難しい。
反論する姿勢を意識していけば、自ずと批判的思考は身につけられる。
うつ病になりかけた時の話
はじめに
僕が、とあるシステム開発会社に所属していた時の話です。
そこの会社で、僕がうつ病になりかけていた、いや、なっていたかもしれない。
その時の状況を書き連ねてみようと思います。
書こうと思ったきっかけは、うつ病ということがどうも話題になることもあり、なりかけた人が発信してみるのもよいかと思った。
周りから見たら、そんなことで?と思うかもしれないけれど、本人とってはかなり大変な事態だ。
うつ病にしてしまう環境をつくらないようにしてほしいと思う。
うつ病になりかけた経緯
とあるシステム開発会社で、数人規模の案件をやっていた。あるとき、リーダークラスの人が急遽抜けてしまった。理由は、うつ病になったからだ。
それで、僕がいろいろと回していかないといけなくなった。模索しながらやっていた。うまくいかないことで正論で上司から怒られる。
自分がうまくいっていないことを自覚していることに対して正論で畳み掛けられることは、こんなにも辛いのだと思った。
相談しても冷たくつっぱねられる日々。次第に相談しなくなる。
誰にも助けを求められず、やらなくちゃいけない、やりきらなきゃいけない。
1人で抱え込み、責任感でなんとかしようとしていた。
これが日々続くと、僕は、歩道橋から落ちれば楽になるかなとか考え始めた。でも、そんなことをしてしまったら、上司はきっと何やってんだかとかって思うかもしれないなとか思い、逃げたくなる気持ちを抑え込んだ。
次第に会社に行きたくなくなり、朝が来なければいいと思うようになった。
逃げ道がなくなり、どうしていいかわからなくなり思考停止した。逃げ道を死に求め始めた。
このあたりで、あっ、鬱なのか?と思い、まずいと思い始めた。
結局、逃げることで復活した。
うつ病になる要因
僕の場合、逃げ道を失ったことが原因だ。
うつ病になった友人との共通点を探ると、
精神的な余裕を作っていたものがなくなり、自分を責めることしかできなくなってしまうときにうつ病になると推察する。
現実を受け入れなくても良かったことで余裕を持っていたり、逃げ道があることで余裕を持っていたりだ。
うつ病は誰もがなる
精神的な余裕を持てなくなったとき、救ってくれる何かがなくなる。そうして、自分を責め続けるとうつ病になる。
だから、誰もがなるものだと思う。
逃げたっていいという気持ち、余裕を持つためにやってることをなくさないようにしてほしい。気持ちを楽にする手立てを自殺に見出さないように。
キャリアについて考える
はじめに
最近、開発サイドの仕事から事業側の仕事にチェンジしました。ITエンジニアからITコンサルタントにチェンジといったところでしょうか。
急激な変化についていけず辛いことが続いています。
キャリアとは
キャリアとは、経歴だ。自ら方向性を決め、ときにギアチェンジし、キャリアという道を進めていく。曲がり角もあれば直線もある。
今の僕の状況は、キャリアの曲がり角にいるところだ。曲がりきれるのかが最大のポイントだ。必死に次の直線的なキャリアを走りたいと思っているが、なかなか曲がれる気がしない。だから、諦めて元のキャリアに戻るか、曲がり角を行き止まりとみなして、別の環境に移るかを考えてしまう。
今を機会と捉えて、前向きに進めたい。つまり、曲がり角を曲がり切りたい。
窮すれば転じ転ずれば通ずというではないか。
僕のキャリア
一旦整理してみる。変化点に着目して。
これまでに直面した変化点は、以下の通りだ。
1.就職
2.転職その1
3.経営者育成
4.転職その2
5.これまでの技術領域とは異なる案件
6.開発サイドから事業側サイドに転じ、さらに、リーダーを経験。これまでリーダー経験はない
こうやって箇条書きにすると、今の変化点は二重の変化が重なっている。そういう意味で辛いのだ。
僕は開発は苦手だ。技術屋として作り上げるのはどうも不得手だ。ただ、ものを作ることは楽しい。楽しいけど不得手。だから、ものづくりに関わりマネジメントをやりたいと思ってる。
とはいえ、何か腑に落ちない。
変化点にいるからかな。