特定の人ととしか関われない病

はじめに

なんでも、病とすればいいのかと思うところもありますが、病と称することで治せる気がしますし、客観化できるので、僕は、病と称することが多いです。

今回、特定の人としか関われないというところがるなーと思ったので、それについて書いてみます。

 

特定の人としか関われない背景

人間関係を築くには、お互いに理解し合うところから始めないといけないです。何が好きなのか、何ができるのか、何をやりたいのかなどを伝え合い理解しあい、どんな人かを知る。

これをするには、お互いの背景だったり、知識の前提だったりと、表に出ない部分までも理解していくことをしないと、なかなかうまくいかないかなと。加えて、感情の疎通、意思の疎通をして、理解していく。頭の中で考えていたり、心の中で思うだけではダメで、表現し伝えなければならない。そのときに、上記のように、表に出てない部分まで感じとる必要があります。

慣れてくると、表に出てない部分を知り合っているので、暗黙の前提としてできるので、少ない言葉や多少齟齬が生まれる表現しても許され合うし、伝えられます。特定の人としか関わらないのは、かなり楽なんです。この楽さを覚えてしまうと、それに浸かってしまう。抜けれなくなり、知らない人と一から築くのが面倒くさくなります。この面倒くさいを、人見知りと表現して、関わらないことを肯定します。

こういう循環が始まると、特定の人としか関われない病を患います。

 

特定の人としか関われない病と名付けて考えた結果気づいたこと

特定の人としか関われないということを考え始めると、気づいたのが、自ら関わる機会を作らなくなったし、今現在関わってる人にも失礼なことをたくさんしているのではないかなと振り返りました。親しき仲にも礼儀ありと言いますが、親しくなり特定の人としか関わらないようにすると、礼儀礼節に関する感度が低くなりやすいなと思いました。

だから、今関わってる人たちに対しても礼儀礼節を重んじた関わり方をしないといけないなと思いました。あと単純にいろんな人と議論した方が自分を伸ばせるなと感じたので、積極的にコンフォートゾーンから出て行きたいな。

 

 

 

システム設計

はじめに

IT業界の用語は、文脈依存な上に用語が多すぎて困惑しますね。

基本設計、外部設計、詳細設計、内部設計、機能設計、画面設計。。。

色々と本読んだりして考察しました。

 

設計の曖昧性とかになること

基本設計と外部設計を同義に扱ってる会社もありますね。システムの入出力について定義することが外部設計ですが、これが基本設計と同義となるのは不思議だなと思いました。じゃぁ、基本設計と呼ばずに外部設計でいいよねって思います。基本設計と外部設計が同義になってるところのプロジェクト状況が気になります。。。

一方で、基本設計では、入出力を定義するし、処理も定義するという会社もあります。

基本設計と外部設計が同義の場合、詳細設計と内部設計が同義になります。

基本設計を外部設計としているところは、内部設計は処理設計のことを指すようで、これをプログラマーに依頼するそうです。これもこれで違和感があるなと。処理って技術依存する部分じゃないしなと。Javaがわからくても処理設計はできるしな。

画面単位が部品なのか、MVC単位が部品なのかという捉え方の違いですかね。

システムの最小部品って、MVCであって、画面ではないと思うのですが。。

さらに、どこまで詳しく書くかという粒度も会社によって異なります。

会社によって違うというのが曖昧さを生み出してますね。

 

システム開発プロセスについて語る 設計のみ

設計の工程は、基本設計と詳細設計、または、外部設計と内部設計となります。

システムの構成要素は、アプリケーションについては、画面、帳票、DB、機能です。これらの基本的な部分を設計するのが、基本設計。

基本設計の内容を技術的にはこうやって作るというのをデザインパターンに従って定義するのが詳細設計。これで、システムの挙動がコンポーネント単位まで定義されたことになります。

システムの部品は画面じゃないよ。MVCだよ。

外部設計では、入出力を定義するとした場合、内部設計、プログラム設計と続かないといけないんじゃないかなと思います。

 

最後に

疑問として残ってるのが、炎上しないでしっかり回ってるプロジェクトって、どういった設計の進め方をしているのか?ですね。

 

 

 

 

 

 

会社を辞めることにした話

はじめに

実態は入ってみないとわからないという、入社候補者と会社における情報の非対称性を強く感じた会社でした。入社前から今に至るまでこの会社は大丈夫なのかという不安がたまり不信感に変わり、信用できないと認識し始めました。それが、暗澹たる気持ちになり、先行きにとても大きな不安を抱えそんな状態で働けないと思うようになりました。

 

現在の会社に入るまで

ITエンジニアとして働いてきて、何を作るかを定義することが重要だと思い始めていました。

ただ、どういった事業を営んでいる会社でIT活用を企画する立場になればいいのかわからないところもあり、大きく言えばアウトソーシング分野で働き、これだというところが見つかったら転職しようと思い、コンサルティング業界を選択しました。

コンサル業界特化の転職エージェントを利用していて、そこからコンサルティングファームと紹介され、今の会社に入社しました。

 

会社の実態

最初におやと思ったことが、面談組みますと言われ、ここに行ってくださいと言われたときです。プライムという話だったよな、派遣?おや?と思いました。

エージェントから聞いていた話が、コンサルティングファーム、プライム、案件を選べるなど聞いていました。今思えば、エージェントもKPIが設定されているから、聞こえのいい言葉を並べてコンサルティングファームに見せて入社させるように仕向けていたのかな?などと邪推してしまいます。

さて、話がずれましたので、元に戻します。

そのおや?と思ったところから幾度となく会社の闇を垣間見ることが増えていきました。

聞いていた話と違うということが、こうもはっきりと感じるのは初めてでした。

実態は、SES、高単価のポジションに割り当てる、決まればいいけど決まらないと営業に回される、決まったとしてもミスマッチの可能性があるなどです。

プロジェクト離任が決まり、次の案件の面談をいくつもこなしてなかなか決まらない人もいて、営業になった人もいました。

私も月末まで次月からプロジェクトの決まらず、不安を抱えていたことを覚えています。入ったら入ったで評価されないと離任になるという可能性もあり、常に緊張感を持って働いていました。

ただ、平気で1人で案件に入れられることもあり、プロ意識が飛躍的に育ち、仕事を楽しくやれることを実感したので、そういう意味では良かったなと思っています。

 

辞めるに至るまで

ここからは単なる思いの丈をぶつけるだけですが。

やりたい案件を選べないじゃん、なんでだよ。年俸制から月給制に変わった、そして残業抑制開始、毎月これくらい残業時間を削減できましたというメール通知。コストカットですか。

単価のうち粗利をこれくらいにしています。はぁ。

わたしよりもできない人と同じ給与になるのはおかしいと文句。そしたら、バリューを出したら給与アップしましょう。バリューを出すとは、価値を提供ではなく、高い単価を出せたらという意味。

社長が変わったけど一年でいなくなり、その社長は大手に転職。

変わる会社の理念やビジョン。時価総額いくらを目指すなどコロコロ変わる。会社は公器であるという自覚がないのか。

出入りが激しい。入っては辞めるの繰り返しで、人をたくさん採ってそうなのに劇的に増えたいかない。

などなど、会社としてぐちゃぐちゃしてきたし、なんだか何をミッションとして働いていけばいいのかよくわからなくなってきて、給与も上がりづらいし、働いても幸せになれない、ここでは無理だと思うようになりました。

そして、退職を決意。

 

終わりに

会社選びは慎重にいきましょう。

 

 

クリティカルシンキング

はじめに

クリティカル進化論を読んだので、クリティカルシンキングについて、自分向けに整理する。

 

クリティカルシンキングの重要性

日本語に訳すと、批判的思考。要は、鵜呑みにせず疑ってかかり、これは正しいと納得したら受け入れる思考だ。

鵜呑みにするのはよろしくないという。これは確かにそうで、自分で考えないから、正しいと納得していない。だから、なぜと問われてもちゃんと答えられない、説明できない。つまり、アカンタビリティー、責任を負ってないことになる。

主体性とアカンタビリティーは強い関係にあると思う。納得できていることは主体的にできる。何をすればいいのかを把握しているからだ。

納得するためには、正しいと鵜呑みするのではなく、物事を疑ってかかり理解して正しいと認めるというプロセスが必要だ。

そして、このプロセスがクリティカルシンキングと言える。

また、認められないなら受け入れないという強さも必要だ。

 

クリティカルシンキングってどういう思考プロセスなのか

意見を持つプロセスは、事実を認識→事実を理解→解釈・評価→意見というプロセスがある。

クリティカルシンキングは、いろいろと疑ってかかることなので、このプロセスの一つ一つを疑い、自分で確かにそうだと認める思考過程を経ている。

 

批判的思考のやり方

単純な思考方法で、反論するスタンスで考えればよい。本を読むときも、中に書いてあることは正しいと思って読むのではなく、内容に対して反論する気持ちで読む。

やり方としては、前提を反論する。逆、裏、待遇をとり、真偽を確かめる。他にも可能性があるのでは?などと考える。

また、反証例や当てはまらない例を出してみるのがやりすい反論の仕方だ。

 

おわりに

クリティカルシンキングは、日々、自分で考え判断するための思考習慣でもある。

普段、この人が言ってるから正しいとかの思考前提を持っているなら、なかなか批判的思考に切り替えるのは難しい。

反論する姿勢を意識していけば、自ずと批判的思考は身につけられる。

 

うつ病になりかけた時の話

はじめに

僕が、とあるシステム開発会社に所属していた時の話です。

そこの会社で、僕がうつ病になりかけていた、いや、なっていたかもしれない。

その時の状況を書き連ねてみようと思います。

書こうと思ったきっかけは、うつ病ということがどうも話題になることもあり、なりかけた人が発信してみるのもよいかと思った。

周りから見たら、そんなことで?と思うかもしれないけれど、本人とってはかなり大変な事態だ。

うつ病にしてしまう環境をつくらないようにしてほしいと思う。

 

うつ病になりかけた経緯

とあるシステム開発会社で、数人規模の案件をやっていた。あるとき、リーダークラスの人が急遽抜けてしまった。理由は、うつ病になったからだ。

それで、僕がいろいろと回していかないといけなくなった。模索しながらやっていた。うまくいかないことで正論で上司から怒られる。

自分がうまくいっていないことを自覚していることに対して正論で畳み掛けられることは、こんなにも辛いのだと思った。

相談しても冷たくつっぱねられる日々。次第に相談しなくなる。

誰にも助けを求められず、やらなくちゃいけない、やりきらなきゃいけない。

1人で抱え込み、責任感でなんとかしようとしていた。

これが日々続くと、僕は、歩道橋から落ちれば楽になるかなとか考え始めた。でも、そんなことをしてしまったら、上司はきっと何やってんだかとかって思うかもしれないなとか思い、逃げたくなる気持ちを抑え込んだ。

次第に会社に行きたくなくなり、朝が来なければいいと思うようになった。

逃げ道がなくなり、どうしていいかわからなくなり思考停止した。逃げ道を死に求め始めた。

このあたりで、あっ、鬱なのか?と思い、まずいと思い始めた。

結局、逃げることで復活した。

 

うつ病になる要因

僕の場合、逃げ道を失ったことが原因だ。

うつ病になった友人との共通点を探ると、

精神的な余裕を作っていたものがなくなり、自分を責めることしかできなくなってしまうときにうつ病になると推察する。

現実を受け入れなくても良かったことで余裕を持っていたり、逃げ道があることで余裕を持っていたりだ。

 

うつ病は誰もがなる

精神的な余裕を持てなくなったとき、救ってくれる何かがなくなる。そうして、自分を責め続けるとうつ病になる。

だから、誰もがなるものだと思う。

逃げたっていいという気持ち、余裕を持つためにやってることをなくさないようにしてほしい。気持ちを楽にする手立てを自殺に見出さないように。

 

 

 

 

キャリアについて考える

はじめに

最近、開発サイドの仕事から事業側の仕事にチェンジしました。ITエンジニアからITコンサルタントにチェンジといったところでしょうか。

急激な変化についていけず辛いことが続いています。

 

キャリアとは

キャリアとは、経歴だ。自ら方向性を決め、ときにギアチェンジし、キャリアという道を進めていく。曲がり角もあれば直線もある。

今の僕の状況は、キャリアの曲がり角にいるところだ。曲がりきれるのかが最大のポイントだ。必死に次の直線的なキャリアを走りたいと思っているが、なかなか曲がれる気がしない。だから、諦めて元のキャリアに戻るか、曲がり角を行き止まりとみなして、別の環境に移るかを考えてしまう。

今を機会と捉えて、前向きに進めたい。つまり、曲がり角を曲がり切りたい。

窮すれば転じ転ずれば通ずというではないか。

 

僕のキャリア

一旦整理してみる。変化点に着目して。

これまでに直面した変化点は、以下の通りだ。

1.就職

2.転職その1

3.経営者育成

4.転職その2

5.これまでの技術領域とは異なる案件

6.開発サイドから事業側サイドに転じ、さらに、リーダーを経験。これまでリーダー経験はない

こうやって箇条書きにすると、今の変化点は二重の変化が重なっている。そういう意味で辛いのだ。

僕は開発は苦手だ。技術屋として作り上げるのはどうも不得手だ。ただ、ものを作ることは楽しい。楽しいけど不得手。だから、ものづくりに関わりマネジメントをやりたいと思ってる。

とはいえ、何か腑に落ちない。

変化点にいるからかな。

 

 

薄れゆく負の記憶 親子関係を再考する

はじめに

母と話す機会があり、子供の頃の自分への扱いについて語る方向に話を展開するように仕向けると、自分を取り巻く世界が、記憶していたものとは、だいぶ異なるものだということがわかった。母の取り巻く世界から見たときに、僕に対する態度は全て助けを求めていたものだったのかと理解した。そのときに、助けられなくてごめんなさいという気持ちが溢れた。

 

僕が記憶した世界

子供の頃の記憶を述べたいと思います。

こっぴどく怒られる場面が振り返ってもかなり多く、その中でも、焼き付けられて離れない記憶について取り上げます。

天気の良いお昼頃にこたつに入ってぐうたらしていたときに、母が帰ってくるなり、僕の名前を声を荒げて呼び、飛び起きた。

続けて言われたことは、なんで、洗濯物をしまってくれなかったの?と言われた。えっ?なんで?とキョトンとした。

そんな風景が記憶されている。

これは、ぼくから見た世界。

 

母曰く

1人でやることが多く、かなり大変だったらしい。 子育ても含めると一杯一杯だったそうだ。

加えて、子育ても自分が受けた教育をそのまま引き継いだようで、育てられたように育てたとも言っていた。

昔、母はそんことは一言も言ってなかった。

これらを踏まえると、

手伝うのが当たり前だという、母が受けた教育を僕にも施してみたけれど、うまくいかず怒っていたように受け取れる。

 

昔から自己完結的

母はそういうことで、僕との関係において自己完結的な性分だ。というか全体的に。

僕を見て話してお互いが納得しうる着地点がないまま、一方的に母は自分が納得すれば良しとする傾向があった。

だから、僕から母に対して相談を持ちかけることなどなかった。自分で判断して決断して動いてやると思っていたからだ。

自己完結してしまいがちな母に育てられると、僕も自己完結しがちになる。

今思うと、親子関係において、親という意識と子という意識をお互いに持っていたからこそ成立していた。関係性が深く進展せず、表層的な関係に留まるという親子らしからぬ関係性だったんだと思う。家族という関係がないなら、お互い関わらない実にビジネスライクな関係だったと思う。双方が密にコミュニケーションする意識がないため、かなり自己完結になってしまった。そうせざるを得なかった。話したくなかったから。

 

親子関係が人間関係の原点

昔から親子関係は人間関係の原点と言われている。

上記のことを踏まえると、根本的に母という存在に深い興味がなく、関わるとろくな事がないという気持ちから、関係を希薄化し、コミュニケーションを取りたくないということから何事も自己完結化した。

そう考えると、僕は、人間関係を上手に築くことやつくること、関係を持つことさえも関心がなく、また、関わり方も自己完結的だから進んで関係を深めることもない。なんとも乾いた生き方だ。

 

おわりに

親子関係を再度考えてみると、親子関係すらまともに作れてなかったように思う。それが、人間関係において問題を引き起こしているように思う。

毒親と認識していたが、毒親ではなかった。しかし、それとはまた違う問題が、僕と母の間にはある。