読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

自己啓発という病

はじめに

今日、資格対策用の書籍を買いに本屋に行ったら、レジに並んでいた人が、大量の自己啓発系の本を購入していたので驚いた。

昔の自分もそうだったけれど、まだまだ自己啓発というのは、根強いニーズがあるのかな。

これを見て、自己啓発というのは必要とは思っているけれど、過剰にやること病にも似たものであると思った。

 

自己啓発という病が発症するとき

自己啓発は、必要最低限やればよいものであり、やらなくてもよいものでもある。

けれど、迷い苦しみ、自分が何者かであるのかが自分で特定できず、アイデンティティクライシスのような状況であったり、

昔も今も自分が思い描いてる自分とは程遠く、現実を受け入れることが困難だったりすると、こじらせてしまう。

どういった過程かは人によるけれど、要は、現実を直視できずにこじらせたことにより、自己啓発過剰病になる。俗に、自己啓発という病なるものだと思っている。

 

自己啓発系の本に頼ら前にやること

また、簡易な本をたくさん読んだことを自慢することも自己啓発の一種である

 

自己啓発という本に頼る前に、今の自分が静観し、受け入れるところから始めるしかない。

中途半端に冷遇されてきた、今もされていても、そういうものだと受け入れ、現実をよく見れるようにしておきたい。

それは、言語化により初めてなせる技でもある。自己啓発に頼り、語彙を減らすのではなく、難しい本も読んだりして、語彙を強化し考え、自分の置かれている状況を正しく見て、自分が何者であるのかに、気づかないといけない。

そうでなければ、自己啓発のサイクルから永続的に脱出することができず、本を買って読んで実践しても上手くいかない。他の本も読むとかの負のサイクルに陥るしかない。

 

自己啓発系の本は、幸か不幸かわかりやすい言葉で書いていることが多いため、人の思考を奪うことにもつながると思っている。簡易な本をたくさん読んだという自慢は、その奥に深く考えていませんが本だけは読みましたよ程度の自慢でしかないということも考えておきたい。

 

最後に

自己啓発においては主治医がいないため、自分で処方しないといけない。しかし、処方の仕方を間違えると、悪化の一途を辿るので、慎重な動きが必要だ。

加えて、こういった本がたくさん流行るというのは、宗教的な流行りとも感じ取れる。いうなれば、自己啓発教だ。

自己啓発の本を読むくらいなら聖書を読んだ方が何倍もいいのではないかとも思っている。

これは、宗教のススメではないです。