薄れゆく負の記憶 親子関係を再考する

はじめに

母と話す機会があり、子供の頃の自分への扱いについて語る方向に話を展開するように仕向けると、自分を取り巻く世界が、記憶していたものとは、だいぶ異なるものだということがわかった。母の取り巻く世界から見たときに、僕に対する態度は全て助けを求めていたものだったのかと理解した。そのときに、助けられなくてごめんなさいという気持ちが溢れた。

 

僕が記憶した世界

子供の頃の記憶を述べたいと思います。

こっぴどく怒られる場面が振り返ってもかなり多く、その中でも、焼き付けられて離れない記憶について取り上げます。

天気の良いお昼頃にこたつに入ってぐうたらしていたときに、母が帰ってくるなり、僕の名前を声を荒げて呼び、飛び起きた。

続けて言われたことは、なんで、洗濯物をしまってくれなかったの?と言われた。えっ?なんで?とキョトンとした。

そんな風景が記憶されている。

これは、ぼくから見た世界。

 

母曰く

1人でやることが多く、かなり大変だったらしい。 子育ても含めると一杯一杯だったそうだ。

加えて、子育ても自分が受けた教育をそのまま引き継いだようで、育てられたように育てたとも言っていた。

昔、母はそんことは一言も言ってなかった。

これらを踏まえると、

手伝うのが当たり前だという、母が受けた教育を僕にも施してみたけれど、うまくいかず怒っていたように受け取れる。

 

昔から自己完結的

母はそういうことで、僕との関係において自己完結的な性分だ。というか全体的に。

僕を見て話してお互いが納得しうる着地点がないまま、一方的に母は自分が納得すれば良しとする傾向があった。

だから、僕から母に対して相談を持ちかけることなどなかった。自分で判断して決断して動いてやると思っていたからだ。

自己完結してしまいがちな母に育てられると、僕も自己完結しがちになる。

今思うと、親子関係において、親という意識と子という意識をお互いに持っていたからこそ成立していた。関係性が深く進展せず、表層的な関係に留まるという親子らしからぬ関係性だったんだと思う。家族という関係がないなら、お互い関わらない実にビジネスライクな関係だったと思う。双方が密にコミュニケーションする意識がないため、かなり自己完結になってしまった。そうせざるを得なかった。話したくなかったから。

 

親子関係が人間関係の原点

昔から親子関係は人間関係の原点と言われている。

上記のことを踏まえると、根本的に母という存在に深い興味がなく、関わるとろくな事がないという気持ちから、関係を希薄化し、コミュニケーションを取りたくないということから何事も自己完結化した。

そう考えると、僕は、人間関係を上手に築くことやつくること、関係を持つことさえも関心がなく、また、関わり方も自己完結的だから進んで関係を深めることもない。なんとも乾いた生き方だ。

 

おわりに

親子関係を再度考えてみると、親子関係すらまともに作れてなかったように思う。それが、人間関係において問題を引き起こしているように思う。

毒親と認識していたが、毒親ではなかった。しかし、それとはまた違う問題が、僕と母の間にはある。

人間は誤るということ

はじめに

仕事での大きなミスをしたことで、かなり精神的なダメージを負ってしまった。その日は周囲の方に救済していただいてなんとかなりました。

けれど、ミスを誘発したものはどこかに潜んでいることがことの発端であることは間違いない。

 

ハインリッヒの法則

大きな事故の裏には、軽微な事故が29件あり、それらの軽微な事故の裏には300の異常が潜むという法則がハインリッヒの法則だ。

今回のミスをこの法則に基づき分析してみる。

29件の事故ってなんだろうか。あまり思いつかない。

不具合が発覚と直ちに直さないといけない切迫した期限。

これくらいしか思いつかない。

こう考えると軽微な事故レベルだったのかもしれない。

数件の異常と一件の軽微な事故だったというと救済される。

 

人間は誤るということ、過信など

ISOなどの規格は、人間は誤ることと機械は壊れるという二つを大前提にしている。

犯人探しや人を火炙りするような叱責などのための原因調査は基本的にしない。再発防止のための調査をすることを要求している。

人間が誤ることは自明なのだけれど、犯人探し原因調査をすることは、人間は誤らないと言い切っているとも言える。

 

今回の僕のミスは、人間の誤る原因の一つの過信によるものだ。

自分は失敗しないように心がけているし、周りからも評価されて信頼されている。だから、僕のやることにミスはないという過信盲信だ。

人間の心理というのは恐ろしい。

このことが要因でまねいた事故は、今回初めてだ。後悔の念で潰されそうになった。

 

過信盲信にならないための、正しい自信の育て方

 

自身の裏付けにすべきものは、醸成された文化や評価されてるという根拠ではなく、品質チェックをどれだけしたか、そして、品質チェックのやったいう根拠をどれくらい積み上げたか。

自分の能力を裏付けにするのではなく、能力によって生み出したものを、プロセスによって担保し、自信にする。

品質チェックのやり方は各々によるので、言及できない。

このあたりトヨタ関係の本などを読んで勉強して、仕事に応用したい。

 

 

 

 

 

木挽ブルー

はじめに

九州出身の美容師の方に勧められたて、飲みたいと思って、Amazonの欲しいものリストに追加していたら、近所のスーパーに陳列されていたので、衝動買い。

 

焼酎の飲み方

黒霧島を飲んでから芋焼酎が好きになり、ハマっている。かれこれ10年経つかな。

芋焼酎の飲み方は、ロックで、氷が溶け始めた頃に飲むというスタイルを貫いている。

芋の甘さを感じつつ、匂いも楽しめるということで、頑なにこの飲み方でいる。

単にロックで飲むと、芋の独特の匂いが先走り、甘さを味わえない。なので、氷を溶かして、若干の水割りにすると、甘さも堪能できて好み。

 

木挽ブルー

今回も、その飲み方で木挽ブルーを飲む。

普通、芋焼酎は、氷を溶かして飲んでも、それでも、芋くささがどこか残る。木挽ブルーは、そんなことはなく、匂いもほとんどない。

飲む際にも、匂いはあまりなく、口に含むと甘さが浸透する。キリッとした味わいもする。

 

冷酒で飲んで美味しい。三井神力に近い?と思いつつ、やはり違うなと。

とかく、芋焼酎のくせに、独特の風味がほとんどなく、芋焼酎入門にはうってつけかもしれない。

常温で飲むより冷やして飲んだ方が、このお酒は美味しいのかもしれないと飲みながら思った。

 

芋焼酎の中では比較的オススメできる部類のお酒だ。

好き嫌いが分かれるお酒の種類なだけに、人に勧めるにはかなり慎重になるけれど、これは勧めて問題ないと判断。

芋焼酎探してるという人がいたら勧めてみることにする。

 

 

 

自己啓発という病

はじめに

今日、資格対策用の書籍を買いに本屋に行ったら、レジに並んでいた人が、大量の自己啓発系の本を購入していたので驚いた。

昔の自分もそうだったけれど、まだまだ自己啓発というのは、根強いニーズがあるのかな。

これを見て、自己啓発というのは必要とは思っているけれど、過剰にやること病にも似たものであると思った。

 

自己啓発という病が発症するとき

自己啓発は、必要最低限やればよいものであり、やらなくてもよいものでもある。

けれど、迷い苦しみ、自分が何者かであるのかが自分で特定できず、アイデンティティクライシスのような状況であったり、

昔も今も自分が思い描いてる自分とは程遠く、現実を受け入れることが困難だったりすると、こじらせてしまう。

どういった過程かは人によるけれど、要は、現実を直視できずにこじらせたことにより、自己啓発過剰病になる。俗に、自己啓発という病なるものだと思っている。

 

自己啓発系の本に頼ら前にやること

また、簡易な本をたくさん読んだことを自慢することも自己啓発の一種である

 

自己啓発という本に頼る前に、今の自分が静観し、受け入れるところから始めるしかない。

中途半端に冷遇されてきた、今もされていても、そういうものだと受け入れ、現実をよく見れるようにしておきたい。

それは、言語化により初めてなせる技でもある。自己啓発に頼り、語彙を減らすのではなく、難しい本も読んだりして、語彙を強化し考え、自分の置かれている状況を正しく見て、自分が何者であるのかに、気づかないといけない。

そうでなければ、自己啓発のサイクルから永続的に脱出することができず、本を買って読んで実践しても上手くいかない。他の本も読むとかの負のサイクルに陥るしかない。

 

自己啓発系の本は、幸か不幸かわかりやすい言葉で書いていることが多いため、人の思考を奪うことにもつながると思っている。簡易な本をたくさん読んだという自慢は、その奥に深く考えていませんが本だけは読みましたよ程度の自慢でしかないということも考えておきたい。

 

最後に

自己啓発においては主治医がいないため、自分で処方しないといけない。しかし、処方の仕方を間違えると、悪化の一途を辿るので、慎重な動きが必要だ。

加えて、こういった本がたくさん流行るというのは、宗教的な流行りとも感じ取れる。いうなれば、自己啓発教だ。

自己啓発の本を読むくらいなら聖書を読んだ方が何倍もいいのではないかとも思っている。

これは、宗教のススメではないです。

 

 

ビズリーチというサービスについて

はじめに

転職する気がないわけだけれど、どんなものかと登録しっぱなしで、ほぼ毎日のようにプラチナスカウトメールなるものが来ている。

そんな中で気づいたことを書いてみることにした。

 

ビズリーチ

ビズリーチは、転職者とエージェントや企業の採用担当を結びつけるプラットフォームという認識だ。

https://www.bizreach.jp/job/

 

過去、リクナビやタイプなども閲覧しているが、ビズリーチは上記の性質上、興味のある採用内容が記載されていることも事実で、転職する気がないのに、意欲を湧いてきてしまうことがある。困ったものだ。

 

ビズリーチで、エージェントの質が判定できる

ビズリーチで、エージェントがスカウトメールを送ってくるのは、どちらかだ。

エージェントがしっかり人の経歴書を見ているキーワードレベルで引っかかった

 

僕の感覚だと、キーワードレベルで引っかかったから、とりあえず送ってくるというような方が多い印象。

仮に経歴書を見ていたならば、僕の経歴にアンマッチな案件を添付した上でスカウトメールを送るといった愚行はしないだろう。

 

大変魅力的に映ったなどと、いかにもちゃんとみている風だけれど、よくよくみると、触ったことない技術の話などが盛り込まれた案件があったりと、何を勘違いしているのかわからないくらいエージェントのスカウトメールは適当だなと思う。

 

なかには、僕が今いる会社の求人を送りつけてくるエージェントもいたりして、ちゃんと経歴を読んでメールの内容を削るとかしろよって思うこともあり、そういうエージェントはビズリーチから退場すればいいのにと思ったりする。

 

また、実際に会ってみても、接点を持ちたいがためにスカウトメールを送っているような話ぶりだったりするエージェントもいる。

 

こちらの経歴書を読み、ちゃんとした文章でメールを送って来たなと印象を持ち、文章レベルで信用でき会ってみたいと思ったエージェントは、過去2名に留まる。

 

ビズリーチとの付き合い方は、個々人の転職戦略によっては使えない代物だなと思った。

 

ユーザーから使用料を取るけれど、対価は金額と同等かは疑問でもある。

ビズリーチの中の人にあって文句を言ってみたら、履歴の書き方を工夫すれば、よりいいスカウトが来ますよと言われた。

見せ方が悪いのか、利用するに値する履歴を僕が保有していないのか。

 

ビズリーチって使いづらいなと思った。

 

終わりに

転職する気はないと言ったものの、実は、過去に名前も知らなかった会社からスカウトメールが来て、内容も僕の興味に合致していて、かなり揺れた。

ただ、僕の中でビズリーチの位置付けは、自分は今外からどのように見えているのかを確認するツールのようなものとして扱っている。ちゃんと使えているかは疑惑だが。

 

麺屋武蔵と 日本酒マニアック博

はじめに

池袋のパルコでやっている、日本酒マニアック博に行ってきました。昼ごろだったので、先にもラーメンを食べてからいったので、その記録。

 

麺屋武蔵 二天

池袋東口から出て、5分くらいのところにある、麺屋武蔵二天。

味噌ラーメンを食べたかったので、こちらにいってきました。

麺屋武蔵は、新宿に行った際に、おまり美味しくなかったなという印象だったのですが、こちらはどうなんだろうかと不安でした。

注文したのは、鳥天の味噌ラーメン。

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なかなか美味しそう。

とりあえず、スープから頂きました。

濃厚な味噌と書いていましたが、一口飲んで、濃厚?と思ってしまいました。

次に麺を食すしました。太めのストレート麺。

しかし、なぜだろうか、安っぽい麺の味がしました。これで、1000円かと思うと高いなと感じましたね。

次に、鳥天。こちらは、こちらは普通に美味しかったです。

そして、最後まで完食しました。

濃厚さを演出するものが、どうも、スープのしたに沈殿していたようで、麺を食べて、スープを混ぜて飲んだら、濃厚なものを感じました。

 

美味しいけれど、1000円出すほどの価値はなく、750円なら食べると思いました。

全体的に味の調和がなく、味噌スープ単体ではおいしく、とり天も単体ではおいしい。

麺はいまいち。合体させてみたら、全体的にいまいちと言える味でした。

やっぱり麺屋武蔵はこんなものか。。

 

日本酒マニアック博

こちらは、かなりよかったです。

最近日本酒に興味を持ち始めて、いくつか書籍を買ったん読んだり、検定とかも受けてみようかなと思っているところなので。

各地の変わった銘柄の日本酒や、日本酒にまつわる歴史も鑑賞できました。

加えて、カップ酒もデザイナーさんがデザインしたものを見れたりして楽しかった。

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 そして、二つ目の写真の日本酒があったらいいなと思っていたら、購買のところで、ラスト一本で売っていたので衝動買い。

今夜が楽しみです。

 

日本酒の銘柄はワインの銘柄と一緒で、バリエーションが豊富で見ていて飽きないですね。 

 

おわりに

健康に良いとされる日本酒を堪能しつつ、食べ歩きしたものについては随時載せて紹介できたらと思っています。

コンフォートゾーンを出よ

はじめに

異なるスキルセットを求められる案件の話が来て、あまりに自信を持って入れない案件だと判断していたところで、いろいろ考えたので、記録として残しておきたいと思うようになった。

 

コンフォートゾーンを自覚

コンフォートゾーンなんて存在しない迷信のようなものだと思っていた。けれど、前述したように異なるスキルを求めらる案件の話に尻込みしてしまい、それでも、話が来た案件は、ずっとやりたかったことなので、挑戦したいとも思った。

ただ、不安は拭えず、優柔不断になっている。

そうか、これがコンフォートゾーンなんだと思った。

自分の身の丈を知り、守備範囲がわかり、どこまでなら迷惑をかけずにできるのかを知り、そして、その中にいるこが快適だから、外に出て不快な気持ちを味わいたくないと思っている。

これが、コンフォートゾーンなんだ。そう思った。

 

コンフォートゾーンから出たい

コンフォートゾーンとは、快適な領域である。

今の案件が、心地が良すぎて快適に過ごせている。そのせいか、この環境にいたいと願いつつも、案件と自分の方向性のミスマッチがあり、離任することにした。

快適な領域に長いこといると、その環境が当たり前になり、その環境に居続けたいと思うようになり、抜け出すことが困難になる。

コンフォートゾーンを抜けることにストレスを感じ、そこから抜け出た先にもストレスを感じる。だからこそコンフォートゾーンにいたいと強く願ってしまう。

これが、コンフォートゾーンから抜け出ることができない最大の理由なのだと実感した。

コンフォートゾーンから出よと言葉でいうのは簡単だが、メンタルにかかるストレスはかなり強い。なにに慣れるのかを選択しないとな思った。

やりたいことをやっていくためには、抜け出て挑戦していかないとならない。だから、コンフォートゾーンを自覚したことだし、抜け出る決心をしたい。

なかなかできないから厄介だ。

 

おわりに

コンフォートゾーンについて、実感して思ったことをだらだらと書いてしまった。けれど、書くことで、思考が整理され、解決の糸口が見えたと思ってる。

要は覚悟の問題なのだと思った。不快になるとも受け入れようとする気概が必要だ。